日本は今、新型コロナウイルスとの戦いに直面している。戦後の復興、バブル崩壊、度重なる大きな震災。戦後75年、幾度の危機を乗り越えてきた日本だが、一貫して変わらないものもある。昭和22年5月3日施行の日本国憲法だ。憲法をはじめとする法の不備がコロナ禍でまた明らかになっている。
首相「拘束力がない」
1月29日。政府がチャーターした全日空機が約200人の邦人を乗せ東京・羽田空港に着陸した。
コロナ感染が拡大した中国湖北省武漢市からの邦人退避の第1便。到着ロビーで厚生労働省職員が乗客に東京都内の医療機関で検査を受けるよう「お願い」した。だが、2人は拒んで帰宅。「感染しているかもしれない人が市中に出た」との不安が広がった。
翌30日の参院予算委員会。首相の安倍晋三はこう答えるしかなかった。
「相当長時間にわたり説得したが、法的な拘束力はなく、残念ながらこういう結果になった」
厚労相の加藤勝信も「これ以上、私どもの法的な権限はない」と言い切った。第1便は搭乗前に検査の誓約をとらず、政府の反省点もあった。ただ、第2便以降もより強く要請するようになったにすぎず、「人権の問題もあって踏み込めないところもある」(首相)ことに変わりはない。
無視される要請
3月20日。スペイン旅行から帰国した10代の女性は成田空港で受けたPCR検査の結果が出るまで待機を要請されたものの、待たずに羽田経由で沖縄県の自宅に帰宅。その後に感染が判明した。
さいたま市では22日、格闘技「K―1」のイベントが約6500人を集めて開催。3日前、政府の専門家会議が「慎重な対応」を求め、会場を所有する埼玉県は主催者に自粛を要請したが、知事の大野元裕は記者団にこう嘆いた。
「要請に強制力はなくあくまでお願いだったが、聞き入れてもらえなかった」
政府が4月7日に発令した緊急事態宣言も大差はない。外出自粛は「要請」しかできず、従わなくても罰則はない。外出禁止令を出したフランスでは特例で外出する人は証明書の携行が義務付けられ、警察官が街中を巡回。悪質な再犯者には最高3750ユーロの罰金が科せられる。日本は自粛を強制できる法的な枠組みすらない。
犠牲なければ
教訓を生かしたのか、それとも泥縄式の対応か。日本は大規模な自然災害などのたびに法律が想定していない事態に直面し、事後に制度を改めてきた。
平成7年1月17日の阪神大震災では、避難や安否確認のためのマイカーで幹線道路が渋滞し、救急や消防、自衛隊の車両が現場にたどりつけない事態が起きた。その11カ月後、政府は災害対策基本法を改正し、都道府県による災害時の一般車両の通行制限措置を容易にした。災害対策基本法自体は、昭和34年の伊勢湾台風後に制定し、ハイジャック防止法や原子力災害対策特別措置法も事後的な対応だった。
事前に政府の強い権限を規定しておけば、犠牲を抑えられるのではないか。自民党は、こうした緊急事態条項(国家緊急権)を憲法に明記するとの立場だ。「事前の想定」には限界があるとの考えに基づく。
野党第一党の立憲民主党代表、枝野幸男は新型コロナに絡め、「必要な措置はあらゆることが現行法制でできる。憲法とは全く関係ない」と話す。
一時的に私権が制限されることもあるが、「何か」が起きてからでは遅い。それなのに、同じ轍(てつ)を踏もうとしている。
SF小説の「警鐘」
東京五輪が開かれた昭和39年に出版された作家、小松左京の『復活の日』は、ウイルスが蔓延(まんえん)し、人類滅亡の危機に直面した世界を題材としたSF小説だ。死者が続出する事態への日本政府の対応として、次のような記述がある。
〈情勢は今の所、悪い方へ拡大して行くばかりで、恢復(かいふく)のめどは立たない。―たかがかぜぐらいで、非常事態宣言は大げさすぎると思うだろうが…〉
感染が爆発的に拡大する恐怖、機能麻痺(まひ)に陥った文明社会。ウイルスの発生原因や感染規模は異なるが、その描写はSFと切り捨てられない現実味がある。緊急事態対処の示唆に富む半世紀前の小説と新型コロナウイルスが猛威をふるう今も、法の不備という面ではあまり変わらない。
感染症明示なし
平成21年の衆院選で大敗し、野党に転落した自民党は憲法改正草案作りに着手した。23年3月11日に東日本大震災が発生すると「後手に回る対応から抜け出さないといけない」との声が相次いだ。24年4月公表の「日本国憲法改正草案」に独立章として「緊急事態条項」を設けることが決まった。
条文案は緊急時に首相が緊急事態宣言を発すれば、法律と同一の効力を持つ緊急政令を制定できると規定した。国民保護のための国の指示には「何人も従わなければならない」と私権制限にも踏み込んだ。
推進本部の起草委員会事務局長だった前参院議員の礒崎陽輔は「緊急事態で大事なことはスピード感だ」と強調した上で、対象として感染症を「念頭に置いていた」と証言する。
草案には「外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、大規模な自然災害その他の緊急事態」とある。感染症は「等」「その他」に含まれるとの解釈だが、保守傾向が強かった野党・自民党の草案ですら明示はしていなかった。
最悪を想定せず
28年参院選の結果、自民党などの改憲勢力が衆参両院で国会発議に必要な3分の2以上の議席を確保した。そこで同党は「他党も賛同しやすいソフトな改憲案」を作り始めた。30年3月7日朝、党本部で開かれた推進本部の幹部会合は、新たな改憲案に私権制限を明確に書き込むべきかどうかをめぐり紛糾した。
「憲法に私権制限をしっかり定義しないと、知事や市区町村長が災害対策基本法に基づく私権制限を躊躇(ちゅうちょ)する」
「現行法でも市区町村長は住民の権利制限ができる」
「それでは災害対策基本法と同じだ。憲法改正の大義がなくなる」
結局、午後の全体会合で本部長の細田博之が「『憲法の規定がなくても実際に対応できるからいいじゃないの』というのは立憲主義から外れる」と語り、政府の権限強化を盛り込む方向が決まった。
自民党は同月にまとめた4項目の改憲案の一つに緊急事態条項を挙げ「国会による法律の制定を待ついとまがないとき、内閣は国民の生命や財産を保護するために政令を制定できる」とした。だが、連立政権を組む公明党でさえ批判的で、新型コロナの感染拡大以降
も副代表の北側一雄は「現行制度でも国民の命や健康を守るために強制的な措置がとれる」と強調する。
一方で、私権制限は、憲法の三大原則の一つの基本的人権の尊重や自由、財産権の規定に抵触しかねない。個別の法律で罰則付きの強制措置をとった場合、違憲とされる可能性があるのだ。
だからこそ最高法規の憲法に緊急時の対応の明記が必要との主張は一定の合理性がある。駒沢大名誉教授の西修によれば、憲法に緊急事態条項を設定するのは「世界の憲法常識」で、1990年以降に制定された104の憲法を調査したところ、この条項を欠いている憲法は皆無だという。
国士舘大特任教授の百地章も「いろいろな特別措置法や災害対策基本法などを見ても結局平時の延長で、本当の緊急時に対処できるとは思えない」と語る。
自民党の改憲案作成にかかわった元防衛相の中谷元は「占領下に作られた憲法は『最悪の事態はあってはならない』という発想だ。だから最悪の事態を想定せず、事が起きた後に法整備を積み重ねてきた」と指摘し、「新型コロナでわかったように迅速に対応するには今までのやり方では限界がある」と警鐘を鳴らす。
首都喪失どう対応
日本弁護士連合会は平成27年9月、東日本大震災の被災自治体を対象にアンケートを行った。災害対策・対応で「憲法は障害になったか」との質問で、回答した24自治体のうち23自治体が「障害にならなかった」と回答。災害などの対応で「憲法改正は必要ない」との主張の論拠として頻繁に引用されている。
しかし、過去の経験則が今後も通用する保証は何もない。むしろ障害にさえなりうる。
大阪や名古屋を含め被害の範囲がより広域にわたる南海トラフ地震が発生した場合、死者・行方不明者は最悪で23万人に達する。東日本大震災の13倍だ。最悪で死者・行方不明者23,000人、経済的被害95兆円と想定される首都直下地震は首都機能喪失の危機という特有の問題もはらむ。
それでも緊急事態のための法整備を放置し、立憲主義に反する「超法規的措置」で対処するのか。新型コロナが突き付けた課題に政府や国会が今後どう取り組むかが問われている。
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2020年5月2日付産経新聞【戦後75年】第1部・憲法改正①を転載しています
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